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どうも、じるふぇです。
マーシャル・マクルーハンの「テトラッド」というメディア分析の方法論によると、新しい技術の発展はかつて衰退してしまったものを回復させる働きを伴うようです。
例えば、自動車の普及によって馬車は衰退したわけですが、人間からは独立した情報処理体が運転を行うという仕組みは、自動運転という新技術によって復活すると言えるのではないか、とかが挙げられます。
これは、どの側面から物事を捉えるかでどうとでも言えてしまいそうな、厳密性の欠いた理論ではありますが、思考のツールとしては悪くない気もします。
そして、このことは哲学の展開にも部分的に当てはまるのではないかということを最近自分は考えました。
『自然主義入門』という本は哲学と科学の合一というのを強く打ち出していますが、これは過去への回帰という側面もあるのではないかということです。
思えば、近代哲学の成立に深い影響を与えたルネ・デカルトは、数学者(デカルト平面の発明者)でもありました。
あるいは、そもそも哲学という営みはこの世界を理解する営みとして始まって、それは現在の科学と決して目的を異にするものではありません。
そう考えると、哲学と自然科学が別々の営みとして二分されて捉えられるようになったのは極めて最近のことであり、それらを再び同じ目標を共有する一つの知的営みとして合一しようとする「自然主義」の発想は決して受け入れ難いものでもないように感じます。
そういう意味でも、今後「自然主義」が哲学のスタンダードとなるという予想はかなり説得的と言えそうです。
ということで今回はこれで終わりです。