地方出身東大生じるふぇの日記帳

東大文一に通う大学生 予備試験に向けて勉強中 日々考えたことを気ままに投稿

読書と他者、そして「汝自身を知れ」

自分について真に知るには絶対的他者の存在を必要とする。


<他者>に依存しない形で自己を知る、そのためには自己を決して理解し得ない他者、そのような絶対的他者が必要になる。


では、本は他者になりうるのだろうか。


本という集合({本})と私という集合({私})があった時、本を読んで理解することができるのは、{本}と{私}の共通部分だけ。


ゆえに本を読むことはしばしば「思い出す」ことに喩えられるのだろう。


だとしたら本を読むことの意義とは何だろうか。


それは、{本}かつnot{私}の部分を絶対的他者とした上で、not{本}かつ{私}の部分をよりよく知ることにこそ求められるのではないだろうか。


それらは私の目には全て同じことを言っているようにも思える。


目指されるべきは「博識」ではなく、「自分」を知ること。


それこそが読書であるはずだし、そうあるべきだ。