地方出身東大生じるふぇの日記帳

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宮野公樹『問いの立て方』を読みました

どうも、じるふぇです。


今回は、宮野公樹『問いの立て方』という本を読んだので、その感想とかを書いていきたいと思います。


この本は、「問い」を問うということ、その思考の過程の大枠を示すような本です。「問い」というものについて、その内実ではなくて、在り方や形式を考察した本とも言えるでしょう。


あらゆる「問い」について、その存在根拠という根本部分まで掘り下げて考えていく、そのようにして、「いい問い」を得る、その一連の過程を平易な言葉で書いています。


特に、人が問いを持つのではなく、問いの中に人が生きるという考え方は、問いと人の関係を転倒させるもので、とても興味深く感じました。


そもそも、「問い」があるから、それに対して「答え」を考えることができる。だとすれば「問い」の方がより根本にあるもので、「問い」そのものへの考察を深めることが「いい問い」へと至る道なのだ、ということです。


しかし、個人的にはやはり理解できないというか、自分の実感にまで落とし込めない部分も多いなと感じました。特に、本書中盤の「本分」に関する内容は、抽象的で少し理解が難しいです。


どこか外にある「正しい」答えを得ようとするのではなく、自分の内にある自分の答えを確立しようとする、その営みにおいて「考える」と「生きる」は重なり同一のものとなる。そのような在り方が「本分」としての在り方なのではないかと一応私は理解しています。


またこの本では、哲学の3つの課題として紹介されている「存在」、「認識」、「言語」のうち前者2つに関する問い(存在とは何か、自分は世界をどう認識しているのか)が提示されています。


特に存在論という哲学分野は、古くはパルメニデスから、現代の思弁的実在論までさまざまな哲学者が己の人生を賭して答えようとした問いであると言えます。


抽象的な内容を抽象的なまま扱おうとするのが哲学や思想という営みだと考えると、この本を一つの出発点として、哲学や思想に臨んでみるのが今の私にできることなのかなと感じました。


あと、個人的に気になったのは、学ぶこと、考えることは、「思い出す」ことであるという部分です。このことは本書以外でも何度か見聞きした内容で、それが果たしてどういう意味を持っているのかをもう少し考えてみたいと感じました。


最後に本書について少し気になったことがあるとしたら、それは無理に現実社会の問題に議論を結びつけようとしてる点です。大学の在り方に関する話は、著者が大学教授であり、大学の運営に関わる立場も経験している方であることを踏まえると、取り上げるのも理解できます。しかし、新規事業やら地方創生に関する話は、あまり取り上げる必要性を感じませんでした。まあ、補足という形ではあるので良いのですが。


また、我々の思考は言語という歴史的形成物によるしかなく、全体たる歴史から個別たる個々人を切り離すことはできないということを認めながらも、社会や制度という人工物以前に我々は自由にものを考えることのできる存在であるというのは、少し違和感を感じました。(広義の)歴史による影響を常に受けているのであれば、私の考えた内容は本当に「私」のものであるのか、そのようにしてなされる思考は果たして「自由」な思考と言えるのか。


ということで、疑問はいくつか残りますが、今回はこの辺で終わりにしておきます。