地方出身東大生じるふぇの日記帳

東大文一に通う大学生 予備試験に向けて勉強中 日々考えたことを気ままに投稿

2022年10月18日【勉強日記】

勉強記録

雑記

どうも、じるふぇです。

19世紀フランスの詩人ランボーは、"je pense" ではなくて "on me pense" であると言ったそうです。これは当然、デカルトの "Je pense, donc je suis" を受けたものです。

これをいかに訳すかは難しい問題で私の手には負えませんが、考える主語が「私」ではないということを伝えようとしているのは確かです。

自由意志や自己決定権、あるいは自己責任論、そして能力主義に至るまで、「私」という存在による選択の連続として人生を捉えることが果たして妥当であるのか、そのことへの違和感というのは現代にも通じることだと思います。

フーコーが「人間」の誕生、そして「人間」の死を唱えたのは有名ですが、この「私」、あるいは近代的自我というものはどの程度普遍的な概念なのでしょうか。

インターネットの普及、特にSNSの普及は今・ここに生身で存在する「私」以外の可能性を私たちに感じさせてくれます。ネット上では現在の自分とは違った自分になれる、そう感じる人も多いでしょう。

しかし、今・ここの「私」以外の自分の可能性が見えて来ればくるほど、むしろ今・ここに存在する「私」のリアリティが浮かび上がってくるような気もしてきます。

近年注目を集めている「メタバース」は私たちの人間観を根本から変えることになるのか。現代というこの時代のあり方を捉え損なわないような努力が必要だなと感じますね。

ということで今回は以上です。

2022年10月17日【勉強日記】

勉強記録

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

マーシャル・マクルーハンの「テトラッド」というメディア分析の方法論によると、新しい技術の発展はかつて衰退してしまったものを回復させる働きを伴うようです。

例えば、自動車の普及によって馬車は衰退したわけですが、人間からは独立した情報処理体が運転を行うという仕組みは、自動運転という新技術によって復活すると言えるのではないか、とかが挙げられます。

これは、どの側面から物事を捉えるかでどうとでも言えてしまいそうな、厳密性の欠いた理論ではありますが、思考のツールとしては悪くない気もします。

そして、このことは哲学の展開にも部分的に当てはまるのではないかということを最近自分は考えました。

自然主義入門』という本は哲学と科学の合一というのを強く打ち出していますが、これは過去への回帰という側面もあるのではないかということです。

思えば、近代哲学の成立に深い影響を与えたルネ・デカルトは、数学者(デカルト平面の発明者)でもありました。

あるいは、そもそも哲学という営みはこの世界を理解する営みとして始まって、それは現在の科学と決して目的を異にするものではありません。

そう考えると、哲学と自然科学が別々の営みとして二分されて捉えられるようになったのは極めて最近のことであり、それらを再び同じ目標を共有する一つの知的営みとして合一しようとする「自然主義」の発想は決して受け入れ難いものでもないように感じます。

そういう意味でも、今後「自然主義」が哲学のスタンダードとなるという予想はかなり説得的と言えそうです。

ということで今回はこれで終わりです。

2022年10月16日【勉強日記】

勉強記録

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

最近はブログの更新が滞りがちになってしまっています。講義が始まって少し忙しくなってきた上に、正直ブログに書くようなネタもなくなってきました。最初は講義内容をベースにうまく話を見つけられたらいいかなと思っていたんですが、そううまくはいかないですね。

さて、月刊『現代思想』の9月号は「メタバース」についての特集で、興味のあるテーマだったので、今まで一度も買ったことのない雑誌ですが今回買ってみました。主に現代思想関係の複数の研究者が論文などを載せている雑誌みたいで、まだちょっとしか読んでいませんが既にかなり満足しています。

メタバース」というのは、最近よく聞きますし漠然としたイメージはありますが、ちゃんと説明しようとすると難しく感じる概念です。だからこそ、このような哲学雑誌で特集が組まれるわけですね。

この雑誌に載っていた一つの見解によると、「メタバース」はVR技術からの流れと、SNSからの流れ、そしてブロックチェーン技術の流れの3つの側面から理解できるようです。私はあまり詳しくないのでこれ以上は踏み込みませんが、このように整理されるとかなり見通しが良くなりますね。

メタバース」が現実から完全に独立した一つのオルタナティブな世界を作り上げることができるのか、それとも現在のインターネットがそうであるように、結局は資本主義の市場論理に組み込まれた現実世界の拡張にすぎないレベルに留まるのか、今後の行方が気になります。

この雑誌は他にも、「大学」の特集や「哲学の作りかた」の特集、はたまた「ウィトゲンシュタイン」の特集など個人的に興味深いテーマが多いので、今後もチェックしようと思います。

ということで今回は以上です。

2022年10月14日【勉強日記】

勉強記録

  • 仏検単語帳
  • 英語リスニング

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

この日は、ヘーゲルフォイエルバッハマルクスという流れを知りました。

ヘーゲルの絶対精神の発展という進歩史観と、それを転倒したフォイエルバッハ唯物論の先に、マルクス唯物史観があるみたいです。

また、ヘーゲルからマルクスへの「疎外」概念の変遷というのも興味深いです。「疎外」というのは近現代思想を理解する上でも重要な概念であると思うと、その意味がどのように変わっていっているのかをもっと知っていきたいです。

そもそも哲学史の中でのマルクスというのを私はまだよく理解していないのでどこかで学ぶ機会があれば良いなと思います。

ということで今回は以上です。

2022年10月13日【勉強日記】

勉強記録

  • フランス文法
  • 仏検単語
  • フランス語動詞活用
  • Python
  • DUO

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

『西洋哲学史』を読んでいますが、内容がとても濃密なためか、読み進むのがとても遅くなってしまっています。哲学専攻の人とかはこれぐらいの内容は全て頭に入っているのでしょうか。

哲学史は複数の本を読むのが良いと聞きますが、一冊読むだけでかなり大変ですね。

また、フランス語についても、単語と文法は少しづつ定着してきましたが、動詞の活用がまだパッとは出てきません。特に、半過去や単純未来といった現在形以外の時制となると、少し考えてやっと活用が出てくる感じです。

Sセメスターのフランス語の筆記試験はクラスでもかなり良い成績だったみたいなので、このまま頑張って、なんとかこの一年でフランス語を定着させたいですね。

ということで今回は以上です。

2022年10月12日【勉強日記】

勉強記録

  • フランス語
  • 英語

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

今日は一限から五限まで講義が詰まっていて大変でした。特に英語一列の講義でディスカッションを求められたのが、スピーキング弱者の私には辛かった(泣)。

というか、FLOWはレベルを選択制にして試験を解く能力と実践的な英語力の乖離に配慮しているのに、筆記試験の点数でレベル分けする英語一列でディスカッションやプレゼンをさせるのはおかしいでしょ。東京大学は英語一列のFLOW化を阻止しろ。

まあそれは置いておいて、最近は分析哲学に興味が傾いています。『自然主義入門』を読んでいて、道徳哲学や言語哲学も面白そうだなと感じてきたので、早速、金杉武司『心の哲学入門』を買いました。この本は心の哲学の入門書として必ず名前が上がる本なので、読むのが楽しみです。

あと、読むのはだいぶ先になるかもしれませんか、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の解説書も買いました。

今日の講義で、情報技術の発達によって世界は大きく変わるかもしれないという話があって、そこで打ち出された未来のヴィジョンと、現代の哲学の示す種々の概念に親和性があるような気がして、なんとなく哲学を学ぶモチベが上がったのかもしれません。

ということで今回はここら辺で終わりです。

2022年10月11日【勉強日記】

勉強記録

雑記

どうも、じるふぇです。

三連休で少し勉強から離れてしまったこともあって、今日もあまり成果がありません。

スペイン語やフランス語、フランス思想やマクロ・ヒストリー、そして比較政治学まで、個人的に興味のある講義がこのセメスターは多いんで、うまく勉強習慣や読書習慣をつけて、一つ一つの講義を身につけていきたいです。

ということで非常に短いですが、今回はこれで終わりです。

普遍道徳文法という仮説があるらしい【勉強日記】

勉強記録

読書記録

※2022年10月9日及び10日

雑記

どうも、じるふぇです。昨日は更新をサボってしまいました。


その間に『自然主義入門』を読み進めていました。この本の前半では主に「道徳」について様々な見解を説明しています。

自然主義というのは、哲学と科学の境界線をなくして「心」や「精神」などの今まで哲学的に取り扱われていた概念を自然現象の一部として捉え直そうとする試みです。

自然主義によるこのような「自然化」の対象として、道徳というものを筆者は最初に取り上げています。この時、論者によって意見が分かれるのが、道徳は果たして生得的なのか、それとも経験的に構築されるものなのかという問題です。


ここまでは、そんなに珍しい話でもないように思えますが、個人的には、その中でも道徳の生得説がチョムスキーの「普遍文法」という仮説のアナロジーによって理論化され得るというのが興味深く感じました。

一時期私は言語学に興味を持っていたことがあったので、チョムスキーの名前も耳にしていましたが、その具体的な理論については正直あまり理解していませんでした(というか、私の言語学への関心は本当に儚いものだった)。

それが今回、普遍文法についてその概要だけでも知ることができ、さらにはそれが道徳に関する議論にまで応用されるという知見を得たのはとても良かったです。


普遍文法というのは、我々人間は共通の文法の原型を持って生まれてきており(これを普遍文法という)、それが幼少期の言語刺激を受けて英語や日本語などの個別の言語へと固まっていくという理論です(だいぶ大雑把な説明ですが)。

例えるならば、普遍文法というのはパラメーターが未入力の初期状態のようなもので、生後の言語経験とともに一つ一つのパラメーターが確定していき、最終的に英語や日本語といった個別の言語に定まるというイメージです。

このようなことが言えるのは、人間が扱う種々の言語に根本的なところで共通点が見られるということがあります(述語と目的語の語順は言語によって異なるが、述語、目的語というカテゴリーが存在するのは同じ、など)。

そのことの例えとして、本書では、もし全く別の惑星からきた宇宙人が地球人の言語を観察したら、いくつかの方言は見られるが、全体としては地球人は同じ言語を話していると結論づけるであろう、という話を持ち出しています。

正直、私のような一介の学習者からすると、日本語や英語、フランス語といった各言語の違いは全く無視できるものではないわけですが、高名な言語学者からすればこの程度どうってことはないということでしょうか。


そしてこの普遍文法という概念を道徳にも当てはめて考える一派があり、この時、その生得的な道徳の原型のようなものを本書では「普遍道徳文法」と呼んでいます。

というような感じで、元々、言語は生得的であるか、経験的であるかという問題に解答を与えるために編み出された普遍文法という仮説がそのまま道徳についての問題にまで適用されるわけですが、一方で言語と道徳では大きな違いがあるのもまた事実です。

その一つとして、道徳には感情が伴うというのがあるでしょう。もちろん、言語にも感情が篭ることはありますが、言語活動の全てにおいて感情が含まれているわけではないですし、言語というものを人間の感情とは独立のものとして考察することは十分可能なように思われます。

しかし、道徳の場合にはなかなかそういう風には行かないのではないでしょうか。例えば、道徳的に悪い光景を見たら、私たちは嫌悪感や怒りを覚えますし、逆に道徳的に良い行動を見かけたら、尊敬や称賛の感情(そのような良い感情ばかりではないかもしれないが)を抱くわけです。

むしろそのような感情の方が道徳判断においては本質的なようにさえ思える気もしてきます。

果たしてこれらの感情と道徳を切り離して考えて良いのだろうか。いや、道徳と感情は原理的に不可分なのだ、という考え方が当然存在します。

ということで、私がこれから読んでいく章はこの道徳と感情の結びつきを重視する立場についての説明です。とても楽しみですね。

以上、ここらへんで今回は終わりです。

2022年10月8日【勉強日記】

勉強記録

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

今日は植原亮の『自然主義入門』という本を買いました(他にも何冊か買った)。

先日読んだ野家啓一『科学哲学への招待』で、クワインの「知識の全体論」という考え方が説明されていました。そこでは科学と哲学は地続きであり、明確な境界があるわけではないということが主張されており、興味深く感じたので似た立場にあるであろう本書を読むことにしました。

自然主義」というのは、哲学と科学の境界線をなくし、両者の協働を目指す立場であり、主に心の哲学などの分野で試みられています。

心の哲学というと、スピノザの「心身平行論」が個人的には一番しっくりきています。心と身体は同じものの異なる表れであるとする考え方のことです。

しかし、この考え方に拠ると、精神が物体を認識できるのはどうしてなのかがうまく解決されないような気もします。

とりあえず本書を読んでみた上で、大学で受講する認知脳科学の講義なども参考にしながら考えていこうかな。また、科学哲学の講義もとっているので、その講義の理解を促してくれることも期待しています。

ということで今回は以上です。

2022年10月7日【勉強日記】

勉強記録

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

今日で大学の1週目が終わりました。一通り、講義を受けましたが、概ね自分の関心にあった講義だったのでよかったです。

特に、20世紀のフランスの思想について扱う記号論や、マクロヒストリーについて扱う政治経済学などは今後の講義がどのように展開するのか楽しみです。

ということで少し短いですが、今回は以上です。

2022年10月6日【勉強日記】

勉強記録

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。少し投稿が遅れてしまいました。

この日は『世界は善に満ちている』というトマス・アクィナスの感情論に関する本を読み終えました。結局、最後は自分の中だけではなく世界にも目を向けつつ、その世界との関わりの中で自分を捉えるという方向性で終わっていました。

自分の心が何にどう反応しているのかというのを観察する、というのはこの本に限らず現代の多くの哲学関係の本などで取り上げられることなのかなという気がします。

やはり、「自分」を知る、というのが現代における主要なテーマの一つとしてある気がします。

ただ一方で、自分だけでなく他者との関係の中でどのように合意を得ていくか、他者とともにどんな社会を作っていくのかというテーマももっと論じられて然るべきではある気もします。

トマス・アクィナスの感情についての理論を踏まえた上で、いかに他者と手を取り合っていくのか、そういう視点での考察もしていきたいですね。

ということで今回は以上です。

2022年10月5日【勉強日記】

勉強記録

  • 仏検単語5級
  • フランス語動詞活用
  • スペイン語文法
  • 英語リスニング
  • 『教養英語読本』Session13

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

今日は講義が始まってから3日目になります。とは言っても、最初の1週間はオンラインで、ガイダンス的な講義も多いんで、まだ本格的に始まった感じはしません。

それで、これは受講者少ないだろうと思っていた講義が意外と人気だったり、これはそこそこ受講者がいるだろうと思っていた講義が意外と少人数だったりして驚きを感じています。

果たして受講者が10人程度しかいない講義を取るべきなのか。受講者が多すぎると人混みが鬱陶しくなる一方で、少なすぎるとそれはそれで自分が目立ちやすくなる気がして、少し尻込みしてしまいます。

講義概要を見た時はあまり魅力的に思えなかった講義でも、実際に受講している人の感想を聞いていると面白そうに感じるものもあって、どの講義を受講するか非常に悩ましいです。

ということで今回は以上です。

2022年10月4日【勉強日記】

勉強記録

  • 英語リスニング
  • 『教養英語読本2』Session13
  • フランス語単語205~306
  • フランス語文法
  • スペイン語発音

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

今日はアリストテレス倫理学について少し学びました。倫理学というと、「〜しなければならない」といった義務を中心としたものを思い浮かべますが、アリストテレス倫理学はそのようなものではなくて、幸福を追求するためのものみたいです。

個人的には、アリストテレスが「目的」や「本質」という概念を新たに生み出したというのが気になりました。

私たちが普段当たり前のように使っている概念が既にして歴史的・社会的に構成されたものである以上、純粋にそういったものから離れた思考をすることはできないわけですが、そうなると哲学というものはどこまで普遍性を持つことができるのでしょうか。

アリストテレスはそれまでの言語的表現から逃れようとして、言語(ギリシア語)に無理をさせて、新しい概念を生み出そうとした。しかし、今度はそうして作り出された概念がむしろ私たちの思考を縛っているという側面もあるわけです。

なんとなく、哲学史を学ぶ意義が自分の中で明確になってきたのかなという感じがします。

ということで、今回は以上です。

2022年10月3日【勉強日記】

勉強記録

  • 英語リスニング
  • 仏単語4級1~270
  • 『フランス基本単語の覚え方』
  • フランス語文法
  • フラ語読解B1-05
  • スペイン語文法
  • 政治学の第一歩』

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

今日から大学の講義が始まりました。

最初の講義ということもあり、まだ講義に対するモチベーションは高いわけですが、それをいかにして今期の後半まで維持し続けるかが問題です。

春のセメスターでは途中気の緩みがありましたし、期末対策やレポート課題のために一部の講義の最後の方の出席を諦めたりもしてしまいました。

あと、司法試験に向けた勉強を生活の中にどう組み込んでいくのかについても、まだまだ自分の中では課題となっています。

対面授業が始まれば、キャンパスへの移動時間も考慮しなければならなくなりますから、いろいろ大変ですね。

最近語学の勉強が軌道に乗り始めた感じもあるので、それもなんとか継続していきたいです。

とりあえずできる範囲で頑張っていきます。

ということで、今回は以上です。

2022年10月2日【勉強日記】

勉強記録

  • 仏単語4級205~270
  • 『フランス基本単語の覚え方』

読書記録

雑記

どうも、じるふぇです。

とうとう明日から大学の講義が始まります。とは言っても1週目はオンラインなのでキャンパスまで行く必要はありません。

2ヶ月も講義がなかったせいか少し緊張しますね。今期は春以上に真剣に講義に取り組みたいと思っています。

それで今、哲学の講義の教科書に指定されている『世界は善に満ちている』というトマス・アクィナスの感情論に関する本を読んでいます。トマスの議論はとても論理的で、うまく人間の感情を整理できているなあとは思います。

でも感情そのものを考察しているというよりも、「希望」とか「恐れ」とか感情を表す言葉を整理しているだけな感じもしてしまいます。言葉は差異の構造を作っているんだからそれをうまく整理できるのは当たり前なんじゃないかなって。

もちろん、だからと言ってそこに意味がないわけではなくて、整理が理解を誘うこともあるわけなんですけど、その理解も私たちの感情そのものに対する理解というよりも、言葉の使い分けに対する理解に過ぎないような。

感情と言葉ってどこまで結びついているのでしょうか。「言葉にできない感情」とやらが先にあってそれにその場その場で「不安」とか「焦り」とかいう言葉を見つけてくるのか。それとも、そもそも我々は言葉が表し得るところにおいてしか感情を持つことができないのか。

ここら辺は掘り下げると面白くなる気がします。

ということで今回は以上です。